エンスーの杜    トップページへ   エンスーなニュースに戻る  
 
 
斉藤円華の横入り自動車ライター血風録・第20回
 
−シリーズ・エンスーのガレージを訪ねて 連載20回スペシャル−
ガレージの扉を開けたら西海岸! DJケイ・グラントさんの場合
 
 本連載の好評シリーズ「エンスーのガレージを訪ねて」。今回は、格闘技「PRIDE」のオフィシャルナビゲーターをもつとめたDJ、ケイ・グラントさんのガレージに潜入だ!
 
 
−シヴォレーとRRがお出迎え−
 
 「じゃあ、さっそくご案内しましょう」
 どっしりと重くてよく通り、それでいてムーディーな声。堂々とした体躯のケイ・グラントさんは、小学生のように緊張する私に、こころよくガレージの中を案内してくれた。
 光ヶ丘公園にほど近い練馬区某所の、外見はまったく目立たない普通のガレージ。しかしシャッターが上がると風景は一変。ピカピカに磨き上げられたアメ車とロールスロイスが登場、訪問者を出迎えてくれた。
 1956年式シヴォレー・ベルエア。当時のジェット機を意識したデザインと、ふんだんに使われるクロームメッキのパーツ。実車はメッキに浮きや曇りひとつない、素晴らしいコンディションだ。
 バックショット。つややかに輝くボディがステキ。
 さあ、コクピットにご案内しましょう。
 ハンドルとインパネ回りはカスタマイズ。明るい配色をあえて抑え、シルバーとブラックでまとめあげるセンスの良さに脱帽。
 もとは、指針が左右に振れる扇形のスピードメーター。丸型に変更した。ハンドルコラム上にシフトインジケータがある。  ケイ・グラント・スペシャル!
 80年式ロールス・ロイス・コーニッシュ・コンバーチブル。シヴォレー・ベルエアが「躍動」なら、こちらはさしずめ「品格」。
 じつはこのクルマ、エンスーの杜の出品車両だ。新しいオーナーになるのは、貴方かもしれない?
 ウッドパネルと本革張りの内装。
 「この本革の香り、タマらないでしょ?」(ケイさん談) ええ、もう・・・。このふかふかのシートに身を沈めて、湘南クルージングしたら最高です、きっと。
 ※・・・ケイ・グラントさんのRR、詳細はコチラ
 壁にはビーチクルーザーが。
 これはチョッパーハンドル仕様。
 サドルを見てみると・・・。ブルックスの本革サドル、革の破れをステンレスワイヤーでステッチしてあります。「写真を撮るに値しませんヨ!」とケイさんは謙遜されますが、いえいえ、こういう手仕事は素敵です。
 
−金網を破ってアメリカへ−
 ガレージの中のラウンジスペースで、お話をうかがった。天井では、戦闘機マスタングの機首をかたどったファンが回る。
 オモチャ箱のような空間。「GARAGE 16 KG」のプレートはショップ『ル・ガラージュ』にオーダーして作らせた。
 −「ケイ・グラント」というお名前は、進駐軍がつくった住宅地域「グラントハイツ」からとられているそうですね。
 「そう、グラントハイツはオレが子どもの頃の遊び場だった。アメリカ軍とその家族が住んでいて、『星条旗新聞』(“Stars and Stripes”、アメリカ軍の準機関紙)の配達をする少年は通行証をもってて中に入れるんだけど、オレらはそんなの持ってないから、金網のフェンスを小さく破って(笑)中に入るんだよ。すると中に広大な芝生が広がっていて、そこで一緒に入った友達と野球して遊ぶわけ。広くて良い場所は、基地の外にはないからね。
 でも、見回りのMP(警備兵)がシヴォレーのピックアップとかステップバンに乗って15分に一回やってくるから、見つからないように隠れてやり過ごす(笑)。で、また始めるんだ」
 −15分ごとにかならずお仲入りが入る(笑)。捕まったりはしないんですか?
 「捕まる奴もいた(笑)。連行されるんだが、中で紅茶と、軍のPX(売店)で売ってる手作りケーキを出されるんだよ。それが目当てでわざと捕まるツワモノもいたなあ(笑)。でも、指名手配犯みたいに板持って正面と横向きの顔写真撮られて、ブラックリストに載って、親は呼び出されて懇々と説教をうける。『次やったら銃殺ですよ』、ってね」
 さすがに銃殺された少年はいないそうだが、60年代前半の当時のグラントハイツ周辺には、ほのぼのとした雰囲気がただよっていた。「9・11」以降の現在から見ると、まさに隔世の感がある。
 そもそもグラントハイツは、戦時中に旧日本陸軍が帝都防空の要として造った「成増飛行場」だった。敗戦時にアメリカ軍が接収し、その広大な敷地を将校とその家族のための住宅地域として、第18代大統領ユリシーズ・グラントの名を冠して「グラント・ハイツ」としたのである。
 「オレが中学に上がる頃、このあたりを『グラントハイツ・シーホース・ライダーズ』っていうカミナリ族が走り回ってた。カワサキW1、ヤマハDT1、SR311フェアレディとかに乗って、基地ゲート前広場から環八をヨコハマ方面に走っていくんだけど、連中はハイツの白人の女の子が『一緒に乗せて』と迫るのを追い返して、相手にしないんだ。アメリカ人がステータスを持ってた時代にだよ。カッコよかったねえ、あれは」
 まさに映画『アメリカン・グラフィティ』の世界。ケイ・グラントさんは、少年〜青春時代を、アメリカ文化の薫陶の下に過ごしたのである。
 73年、アメリカのベトナムからの撤退と同時期にグラントハイツも閉鎖。その跡地に現在あるのが、光が丘の公園と団地群というわけだ。いまその場所に、当時の面影は見当たらない。
 「でもね、当時は街路表示も英語が併記してあってね。交番にも英語の表札がかかってた。柱時計の下のあるのが、それですよ。建て替えのときに貰ってきたんです」


 字ははげかかっているが、“TAGARACHO POLICE BOX(田柄町交番)”。
 占領軍向けに作られた当時の真空管ラジオ。スイッチをいれてから一呼吸して音が鳴り始める。どの駐留地でも選局できるように、目盛りにヨーロッパの都市名が書かれている。
 取材当日はAFN(米軍放送)にダイヤルを合わせてもらった。中央の緑色のランプが最も輝くようにダイヤルを合わせることから、「グリーンアイ・ラジオ」と呼ばれる。
 
−ガレージハウス−
 ケイ・グラントさんの趣味のひとつ、ブリキ看板収集。国道標識「インターステイト5」のプレートは本物だそう。  ケイさんは20才の時、大学をやめて米サンフランシスコに水泳留学する。その時の住み家は、何とガレージハウスだった。
 「当時の生活は快適でしたよ。このガレージの内装も、シナベニヤを張って、オイルステインを混ぜた塗料をぬって・・・、当時の印象を追い求めて作っていますね。外からはわかんないけど、中はまんまアメリカっていうのが、いいんじゃないかって思います」
 語学力だけじゃない、アメリカの息遣いさえも伝えるような独特のトークは、88年のJ−WAVEでのDJデビューを皮切りに、世の中に知られるようになっていく。そして2000年、「あなたしかいない」と口説き落とされたPRIDEのリング司会への大抜擢。デビュー戦は、「日本人が初めてグレイシー一族に勝った」桜庭=ホイス・グレイシー戦だった。
 作らずに積んであるプラモデル。中にはプレミアのつくものも。
 ケイ・グラントさんのガレージはポップで、ゴージャスでありながら、どこかしら懐かしさもあわせもつ。それは、「グラントハイツ」=アメリカという異文化とかかわりあった氏の半生が、この空間に凝縮されているからだろう。ガレージは人そのものなのである。
 
ケイ・グラントさん 公式ウェブサイト
http://www.k-grant.com/
 

[執筆者プロフィール]
斉藤 円華(さいとう・まどか)…横入り自動車ライター。「自動車文化検定」、通称「カー検」なるものがあるのをご存知ですか? この秋に第1回試験開催。一体どんなもんなのか、受けてみるつもりです。
※ブログ “mdk-on-line” http://mdk-on-line.jugem.jp/
※ mixi(ミクシィ)にもプロフィールがあります。

【次回予告】
 夏は野外イベントまっさかり、と思いきや・・・、あれれ、余りやってないぞ? さてさて、どこに出没したものか・・・。刮目(かつもく)して待て!